千と千尋の神隠しで豚の両親がいないと当てる理由は?最後なぜわかったのかを考察

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映画・千と千尋の神隠しの最後で、千尋が豚の群れに両親がいないことを見事に当てるシーンがあります。

 

どっからどう見ても豚に違いはないし、千尋の両親だというヒントになりそうなものもありません。

 

恐らく多くの人が「なぜ千尋は豚になった両親がその場にいないことが分かったの?」と思ったはず。

 

そこで今回はなぜ千尋は豚になった両親がいないと言い当てることが出来たかについて考えてみました!

 

 

千と千尋の神隠しで豚の両親がいないと当てる理由は?

千と千尋の神隠しは多くの人に人気のため繰り返し観たという人も多いでしょう。

 

ですが、何回観ても腑に落ちないのが”物語最後の豚の群れに両親がいない”ことを言い当てるシーン。

 

これは多くの人が疑問に思っていることのようですが、ハッキリした答えは未だに分かっていないようです。

 

そこでここから下では、両親がなぜいないとわかったかについて可能性がありそうな理由を考えてみました。

 

ちなみに、ネットの情報や考えられる可能性のほかに個人的な妄想も入っていますので、気楽に読んで貰えればと思いますw

 

では早速見ていきましょう!

 

 

銭婆に貰った髪留めのおかげ

1番考えられるのが”銭婆に貰った髪留めの効果”です。

 

あの髪留めは銭婆や坊、カオナシなど、千尋に好意を抱いている者たちが気持ちを込めて編んだもの。

 

銭婆は「髪留めに魔法は使っていない」的なことを言っていましたが、やはり何らかの力はあった可能性はあります。

 

両親が解放されて帰るときやトンネルを抜けた後など、髪留めがいちいちキラリと光りますし、ただの髪留めとは思えません。

 

千尋がベストな選択が出来るように、銭婆が密かに魔力を込めた可能性もゼロではなさそうな気がします。

 

 

名のある川の主から貰ったニガダンゴのおかげ

油屋(湯屋)に現れたクサレ神を元の”名のある川の主”に戻したとき、千尋の手にはダンゴがありました。

 

あのダンゴは”ニガダンゴ”と呼ばれ、ハクの体内にいた”あやつり虫”を吐き出させたり、暴走したカオナシを無力化させる効力があります。

 

物語を観ているとニガダンゴには、体に悪いものや邪悪な考え、魔法などを無力化するといった不思議な効果があるような気がします。

 

物語の中で、千尋がニガダンゴをひと口かじっていたのを覚えていますか?

 

これによって、千尋の中に魔法や真実を見抜ける何かが芽生えたのではないでしょうか?

 

または、千尋に対する湯婆婆の支配が緩んだとかも考えられます。

 

 

ハクにあらかじめ教えてもらっていた

ネットにはちょっと面白い理由もありました。

 

それは「ハクがあらかじめ答えを知っていて千尋に教えていた」というものです。

 

湯婆婆のところに着く前に、「豚の群れの中には両親はいないからね」と伝えていたという考えですねw

 

確かにハクは両親が先にトンネルのところに向かっていることなども知っていたので、可能性的にはゼロではなさそうです。

 

これが見破った理由だとしたら、千尋は相当な役者ということになりますね~。

 

千尋の行き着く先は大女優でしょうか?w

 

また、ちょっと卑怯くさい考えですが、ハクの魔法の力を借りたとかはどうでしょうか?

 

・・・って、これは流石になさそうですねw

 

関連:千と千尋の神隠しのハクが魔法使いになった理由は?湯婆婆の弟子になったのはなぜ?

 

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親に対する愛

ネットでは千尋の”親に対する愛”が見抜く力を与えたとも言われています。

 

大切に思っていれば、姿が変わっても両親を感じることが出来るという考えですね!

 

千尋の両親は千尋に対して、まともに接していないように感じますが腐っても親ということでしょうか。

 

やはり親が好き、助けてあげたいという気持ちが見抜く力に変わったのかもしれません。

 

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千尋が成長して見抜けるようになった

髪留めと同じくらい多いのが”千尋が成長して真実を見抜けるようになった”という意見です。

 

千尋は油屋(湯屋)に迷い込んでから、本当に様々な経験をしました。

 

自力をつけないと生きてはいけない環境になったことで、千尋は加速度的に成長していくのが分かります。

 

成長する中で、真実を見抜ける目が養われた可能性は十分にあります。

 

落ち着いて物事を見据えることが出来るようになったためか、終盤は度胸もすわってかなり頼もしい感じです。

 

最終的にはあんなに恐れていた湯婆婆を”おばあちゃん”と呼んでいたのも、千尋の成長がうかがえるポイントかもしれません。

 

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両親は元々豚になっていないことに気がついた?

ちょっと変わった考えをネットで見つけたので、これもご紹介します。

 

若干視点が違う考えなんですが、元々両親は豚になっていなくてそのことに千尋が気がついたという考えです。

 

確かに両親が豚に変わった瞬間を千尋は見ていないので、食べ物屋さんにいた豚は”両親の服を着たただの豚”だった可能性も考えられます。

 

そもそも人間が豚になるわけないから”豚の群れには両親はいない”という斜め上の発想ですねw

 

ただ、湯婆婆の「親豚は食べごろ」発言やハクが「豚になった両親に会わせる」などの発言もありますし、ちょっと微妙な解釈かもしれませんw

 

 

千尋は最後になぜわかった?宮崎駿監督の考えは?

上では考えられそうな理由を書きました。

 

まぁ、ほとんどが千と千尋の神隠しファンや僕の妄想ですので、本当のところはやはり謎のままです。

 

しかし実は、

 

”豚の群れに両親がいないことをなぜ千尋は当てることが出来たのか”

 

について、宮崎駿監督が触れていたことがあったようです。

 

両親がいないことを千尋が言い当てたことについて、宮崎駿監督は次のようにコメントしていたようです。

 

千尋が

特別な能力を身につけたから、

両親を豚と見分けることができた

のではありません。

10歳の女の子が

数々の危機をくぐり抜けて、

「生きる力」を獲得した、

みんな自然とそれが出来る筈。

 

と、こんな感じです。

 

要は上述したような細々した理由はあまり関係なく、”生きることに本気になれば千尋と同じように誰でも見抜けるようになる”とのことみたいです。

 

現代では子供も大人も千尋のようにただ漠然と生きている人が多いです。

 

しかし、生きるということが現実味を帯びたとき、人は真実を見抜く力は勝手に芽生えるとのこと。

 

千尋が成長したのはもちろんですが、千尋以外でも人間は元からこのような力は持っているという監督のメッセージなのかもしれません。

 

 

まとめ

千尋が豚の群れに両親がいないことを言い当てることが出来た理由は色々な憶測があります。

 

上述した理由はどれも可能性的にはゼロではないですが、公式では明言されていないので真相は謎のままです。

 

しかし、宮崎駿監督の中では人間追い込まれれば千尋のように真実を見抜く力は当然のように使えるようです。

 

これは特別な力でも魔法でもなく、当たり前の力であるとのこと。

 

大人や子供関係なく宮崎駿監督から現代に向けたある種のメッセージとも言えます。

 

そんなメッセージを豚の群れに両親がいないシーンで表現するとは、やはりジブリは奥深いですね!

 

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